1本の捨てラインが、次の捨てラインを呼び、それが繰り返されていくとどうなると思いますか?
見て見ぬふりができない
千代田湖には先の写真のような木が岸際にたくさんあります。
その多くの木々にラインがたくさん絡んでいるのですが、釣りをしているとどうしても目に入るし、届く位置にあるのに回収しないのか、俺!?となり、回収するようにしています。
これが、回収し始めると次から次へと別のラインが目に入りはじめて、貴重な釣行時間を削ってしまうくらい時間がかかります。
私はツライチで釣りしているので、高い所にもラインが届きやすいんですよね。
だからなんか頑張っちゃう。笑
別に誰かが見てるわけでもないし、自己満足、偽善とか言われるかもですけど。
回収しきると、なんとも言えない達成感はあります。嬉しくはないんですけど。あ、ガッカリ感かもしれない。
消えていく罪悪感
この絡んだラインがボーターのものなのか、おかっぱりアングラーなのかは分からないです。
しかし、ボーターなら絶対に回収しにいってますよね?回収してない人、論外ですよ。
まぁ、ほとんどがおかっぱりアングラーのラインだと思いますけど。
引っかかってしまうのはしょうがないと思います。まさか、引っかけようとしてやっているわけではないと思いますし。
そんな状況を少しでも無くしたいと決意したという話は以前もさせていただきました。
この前、木に絡みつきまくったラインを回収していてふと考えました。
”1本の捨てラインが、次の捨てラインを呼び、それが繰り返されていくとどうなるんだろう?”と。
私は絡んだラインが絡みついた木が当たり前の光景になり、「なら、俺が引っかけても問題ないよね。」と引っかけてしまったことへや、ゴミを残してしまったということへの罪悪感が消えてしまうんだろうなと思いました。
そんなことないでしょ、と思う人もいるかもしれませんが、千代田湖にはそんな木がたくさんあるんです。汗
それらの木は見栄えもよくないですし、大切な資源を傷つけています。
1本の捨てラインが、次の捨てラインを呼び、それが繰り返されていくと、ラインゴミを残すことに罪悪感が薄れていくんですね。
恐ろしい…。
断ち切る
私が今までも、そしてこれからもやっていくラインゴミの回収は、単にフィールドを綺麗にしていきたいという目的だけでなく、汚しても気にする必要はないという思考を改めさせる行動になっているんじゃないでしょうか?
1本の捨てイランから始まる負のサイクルを断ち切るには、お節介だとしてもやっぱり誰かがやるしかないんですよね。
もちろんすでにやっている人もいるし、わざわざ発信するまでもないことかもしれませんが、ブログという発信する手段を持っている以上、このような取り組み・意味を伝える役割はあるように思います。
この発信で積極的にラインゴミを回収してくれる人が1人でも増えてくれれば、この記事の意味もあります。笑
んで、そういう人を神様はちゃんと見てくれてるんだと思いますよ( *´艸`)
それでは!
Thank you for reading!
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